大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)1959号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕一、本件事故の発生は、受傷の一部を除きすべて当事者間に争いがない。受傷の部位につき、原告が頭部外傷Ⅱ型、右第二ないし五の肋骨々折、右上腕骨々折の傷害をうけたことは当事者間に争いがないが、肺結核等について被告らは本件事故と因果関係がないと争つているので、まずこの点について判断する。
<証拠>を綜合すると、次の事実が認められる。
1 原告は、本件事故後直ちに大阪市北区の北野病院に入院し、脳外科で頭部外傷Ⅱ型、右上腕骨折の病名がつけられ、昭和四〇年六月一日まで治療をうけたが意議も明瞭となり、頭痛も訴えないので、同病院の外科に移り骨折の治療をうけ、同年九月六日同病院整形外科へ移り、同月二四日肺結核の疑いで同病院内科へ移り、同年一二月二一日には肺結核と診断され、昭和四二年三月末の退院時まで治療をうけた。その後郷里の愛媛県に帰り、昭和四二年四月三日から同年六月三日まで肺結核で梶原医師の治療をうけた。
2 原告は、昭和四〇年六月当時北野病院において、前記頭部外傷等のほか、「右外傷性血気胸、肺結核」の病名がつけられているが、入院当初から胸部疾患があつて、脳外科においてすでにそれを指摘していた。もつとも原告は右外傷性血気胸により肋膜に血がたまつた状態があり、これがあると肺結核は増悪するものであるが、原告の肺結核は北野病院においては左肺とされているので、直接の関係がない。原告が本件事故前から肺結核に罹患していたかどうかははつきりせず、ただ既往の結核があれば外傷によつて増悪することが推測できるも、事故がなかつても結核になつていたかも分からない。なお梶原医師は原告を五度程診察しているが、肺結核は両肺にあるが、左肺に範囲が広く、発病してからかなりの期間が経過していたのと、すでに治療がなされた後であつたため、病状は落ちついており、外傷との関係は明らかにできない。
他に右認定を動かしうる証拠はない。結局本件事故によつて直接肺結核に罹患したということはできないが、原告に既往の結核があり、外傷により身体が衰弱した機会に発病したのでないかと憶測できないことはない。しかし、入院の当初から肺結核があると推認されていたことから、外傷がなくても重労働その他の要因で発病していたかもしれず、要するに外傷が一つの影響を与える可能性をもつにすぎない。従つて肺結核は本件事故と相当因果関係にある傷害と断ずることはできない。
また原告本人尋問の結果によると、気管支喘息は原告が本件事故前から持つていた病気であることが認められるから、本件事故と直接関係のないものである。
二、被告谷口は、帰責事由1を認めているので、民法七〇九条により本件事故により原告に生じた損害を賠償すべき義務がある。
三、被告後藤、被告会社の責任について、
本件事故に関して被告後藤に過失があつたかどうか、被告会社に免責事由があるか否かについて、以下判断する。<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
1 本件事故現場は、大阪市道、新庄大和川線上であつて、南北路と東西路とが直角に交差している交差点内である。南北路は歩、車道の区別があり、車道幅一七メートル両側の歩道名四メートル幅でかなり広く、一方東西路は歩、車道の区別がなく一一メートルの幅員があり、いずれもアスファルト全面舗装されている。両道路が幅広く、前方左右の見とおしは良効であり、事故当時は早朝のため交通量は少なかつたが、普段は交通の頻繁な所である。交通規制として、信号機が設置され、横断歩道標識があり、車輛の速度は毎時四〇キロメートルに制限されている。衝突地点は、交差点中央よりやや南側でA車には0.8メートルから3.9メートルの長さのスリップ痕があつたが、B車にはなかつた。
2 被告谷口は、時速約四五キロメートルでB車を運転し、交差点の手前五〇〇メートルあたりでタクシーを追い越し、交差点の信号が青色の点滅後黄色となり交差点に進入する際は赤色となつていたのに、停止せずそのまま直進した。もつとも北側の横断歩道前の地点で、A車の進行に気づき、ブレーキ・ペタルをふむつもりであつたところ、あわててアクセル・ベタルをふみ、B車の前部をA車の右側の中央から後あたりに激突させた。
他方被告後藤は、毎日本件の交差点を通過していて、事故当日交差点の東側一〇〇メートル程度の所にある被告会社の宿舎からA車を人夫一五名程を同乗させて出発し、時速約三〇キロメートで進行していた。交差点に進入する時は青信号を確認していたので、そのまま進行したところ、右側からB車が突然出て来て、急制動をかけたが間に合わず、衝突してA車は一回転半して横転した。
3 被告後藤は、A車を事故前日の昼に点検して異常なく、事故当時も自己の宿舎の大阪市東淀川区十三南之町から本件交差点近くの被告会社の宿舎までA車を運転して行き、別に支障がなかつた。同人の勤務そのものも労働過重といえず、健康上にも問題はなかつた。
右認定に反し<証拠>によると、被告後藤が、本件交差点に入る際黄色信号であつたとの記載がある。しかし、前掲証拠と対比してみると、B車に追従して走つていたタクシー運転手は、B車が交差点に進入したのは赤色に変つて間もない時刻であることを現認し、被告谷口も前方の信号が赤色であつたことを当初から認める旨を、被告後藤も交差点進入の五〇メートルあたり手前で青信号になつたとそれぞれ述べている。しかも東西路の青信号の時間が二二秒であるから、衝突事故が発生して直後に信号を現認すればともかく、僅かな時間のことでより利害関係をもつ右被告谷口らの述べているところが信用でき、甲六、七号証の記載内容は措信しない。他に右認定を動かしうる証拠はない。
そうすると、右事実によると、本件事故は被告谷口が制限速度を超して赤信号を無視して交差点内にB車を進入させ、しかもブレーキとアクセルのペタルを間違つてふむという過失が重なり、被告後藤の運転のA車の右側面に激突せしめたもので、被告谷口の一方的過失によつて惹起されたものである。被告後藤が、交通量の少なかつた本件交差点に進入するについて、信号に従つて制限速度で直進しているので、同方向または、対向する車輛や、右折、左折する車輛があれば、これに対する注意は当然すべきものであるが、左右からの車については信号に従つて停止することを予想し、その信頼のもとに走行すればたり、赤信号を無視して交差点に突入してくる車輛のあることまで予測してこれに対する注意をする必要はない。もつともかような車輛を発見してから可能なかぎり衝突を避けるべき措置をとる必要はあるが、被告後藤は、B車を発見して直ちにブレーキをかけ、衝突を避けんとしたが、すでにその効果がなかつたと考えられ、従つて本件事故は、同人にとつて不可避の出来事で、その過失を認めることはできない。
他方、被告会社は、A車について構造上の欠陥や機能障害がなく、被告後藤について別段過労や健康上問題となるような運転方法を命じた形跡もなく、A車の運行について注意を怠らなかつたと認められるので、本件事故に関し自賠法一二条但書の免責事由がある。
してみると、被告後藤は過失がない以上、本件事故から生じた原告の損害について賠償すべき義務がなく、被告会社も自賠法三条の運行供用者としての責任はない。
四、損害
原告が、本件事故による受傷後入院し、肺結核以外では昭和四〇年九月二四日まで手術などの治療をうけ、その後昭和四一年六月一日から一〇月二二日まで骨折部のマッサージーをしてもらつていた。現在右肩が使えず、右腕を上げることができない後遺症がある。原告は、事故当時五二歳(明治四五年七月生)で被告会社で主として建築現場の人夫として働き日給九〇〇円で一か月二七日程度働いて月額金二四、三〇〇円の収入を得ていた。<証拠>
1 逸失利益 金七九八、二四〇円
右事実からすると、原告は肺結核がなければ、昭和四〇年九月末ごろ退院し、その後五か月程度マッサージーをうける必要があり、結局昭和四〇年五月二五日から遅くとも翌四一年二月末ごろまでは勤務を休まざるをえなかつたと認められ、その後は右肩の後遺症があり、重労働は無理で少くとも二〇パーセント程度の労働能力を喪失したものと認め、六五歳程度まで就労可能として逸失利益を算出すると、次のとおりとなる。
(a) 40、5、25―41、2、24
二四、三〇〇円×九=二一八、七〇〇円
(b) 41、2、25―44、5、24
24,300円×39×0.2=189,540円
(c) 44、5、25―52、7、24
24,300円×82.0338×0.2=39万円(一万円以下切捨)
2 入院院費 金一二、〇〇〇円
原告が本件事故による受傷のため入院期間四か月間に入院雑費として当時でも一日あたり金一〇〇円、一か月三、〇〇〇円程度を必要としたこと公知の事実であるから、金一二、〇〇〇円を損害として認める。
3 慰藉料 金一〇〇万円
原告は郷里に妻子を残して長男と共に働きに来ていた者であるが、本件事故により収入の途を失い、生活に窮していたこと(原告本人尋問の結果)その他前記受傷程度、治療経過、事故の態様等諸般の事情を考慮すると、原告の精神的、肉体的苦痛に対する損害として金一〇〇万円をもつて相当と認める。
五、被告谷口主張の示談の成否について
(一) 被告谷口本人尋問の結果と証人石井良裕の証言(第二回)によると、被告谷口は、刑事々件との関係もあつて本件事故の際原告を含くめて傷害をうけた者らと示談交渉し、その相手として被害者の代りに石井良裕との間で交渉をすすめ、治療費と休業補償について被告谷口において負担する旨話し合いができたこと、しかし示談書(丙一号証)については、石井は自ら関係せず、印鑑を被告谷口側に預け原告の入院中に作成されたことが認められ、原告本人尋問の結果によつても、捺印は自らした記憶なく、示談書は知らず、ただ印鑑を長男が持ち出したのでないかと述べている。右事実からすると、原告に代つて被告谷口と交渉した石井は、原告が入院中であり、治療費と休業補償について支払いをしてもらいたいと負担を明確にしただけにすぎず、その他のことは積極的に交渉をしたとは認められず、何も定められていない。石井が丙一号証のその他の内容について知らない以上、原告が知る筈もない。従つて丙一号証が前記経緯で作成された以上、原告を拘束するものはなく、示談としての効果をもつものでない。
(二) また、丙二号証、証人京谷記津雄の証言、原告および被告谷口本人尋問の結果によると、次の事実が認められる。原告が、入院中に被告谷口に対して休業補償が入つているかどうか度々尋ねて来たので、被告谷口は石井を通じて支払つている旨を答え昭和四一年一一月九日使用人の京谷を病院に行かせて、困窮している様子の原告に対して金二万円を交付すると同時に、京谷が自己の意思で丙二号証の文面を書き原告に捺印させた。丙二号証には、被告谷口に今後一切関係がなく、双方円満解決した旨記載されているが、原告は文字も見ずただ領収書の趣旨で捺印した。右証拠中、右認定に反する部分は措信しない。
右事実によると、被告谷口の使用人京谷が金二万円を原告に交付した際、その引換えに丙二号証の書面を作成して捺印を求めたのは、自己の独断による行為のようである。これまですべて石井良裕を通じて交渉しながら、最終的解決をはかるのであれば、同人の了解または立会を求めて然るべきであり、原告が領収書の趣旨であつたと言うのも無理がないと考えられる。しかも、当時原告はまだ入院中であり、休業補償を打切りを意味するような書面に捺印することは通常考えられない。従つて、丙二号証によつて、被告谷口と、原告との間に示談が成立したものと認めることは到底できず、この点について被告谷口の抗弁は理由がなく、採ることはできない。(藤本清)